2011年4月17日日曜日

「一人」が歴史を変える・・・一人の行動が歴史を変える。


「一人」が歴史を変える
まず一人を味方に 女性の連帯こそ人類の希望
「一念」で決まる!一念の決意が人生を変える。
人」で決まる!一人の行動が歴史を変える。

 この「勝利の方程式」を世界に証明した女性が、「世界子ども慈愛センター」のペティ・ウィリアムズ会長である。
 「私は女性が世界を変えると、心の底から信じています。その動きは、すでに始まっているのです」
悲劇はたくさんだ
 それは、1976年(昭和51年)の8月10日。惨劇は、彼女の目の前で起きた。 突然の銃声。北アイルランドの中心地・ベルファストの市街地で、銃撃戦が始まった。
 その時、ウイリアムズ会長が愛娘を乗せて運転する軍は、テロリストの軍とすれ違った。間一髪であった。
 警官の発砲を受けて、テロリストの軍は暴走した。あろうことか、道端を歩いていた母子連れに突っ込み、天使のような3人の幼子の命が瞬時に奪われてしまったのだ。
 領土や宗教をめぐる北アイルランドの紛争は、遠く11世紀にまで遡る。根深い対立は、20世紀に入って激化し、テロ行為の応酬を招いた。
 7年で、実に1700人もの人命が犠牲になっていたのだ。
 多くの母が、事態の打開を望んでいた。祈り続けていた。しかし、あまりに長き紛争の歴史と、凶暴な武力の前に、皆、沈黙するしかなかった。
 そのなかで、ウィリアムズ会長は、一人、声を上げた。「もう、黙っていられない。こんな悲劇はたくさんだ!」
 痛ましい事件の衝撃から、彼女を立ちあがらせたのは「正義の怒り」であった。 「暴力によって子どもが死ぬことは、あらゆる暴力の中でも最悪のものです」
 この時、彼女は33歳。2児の若き母であった。
「一は万が母」
 「これに署名して下さい!」
 単身、紛争地帯l=乗り込み、女性たちに戦闘の中止を真剣に訴えた。
 行動だ。動くことだ。電光石火のスピードで勝負だ。恐れていては何も生まれない。  彼女は、対立する「双方の陣宮」の家へ足を運び、勇敢に扉をノックしていった。
 誰が味方に変わるか、わからない。自らの先入観こそが、最大の壁である。 「テロの魔の手から幼子を守ろう!」 「過去は変えられなくとも、未来は変えられる!」
 この「平和への嘆願署名」は、瞬く間に広がった。一人の心に灯された勇気の炎は、燎原の火の如く燃え伝わった。 恐怖は伝染する。だが勇気も伝染する。 これが、会長の信念だ。
 ゆえに、まず「一人」!一人の味方をつくることだ。
 ピラミッドも、頂上からは建てられない。一つ、また一つ堅固な土台を積み重ねていって、初めて頂点に達する。 勝利の金字塔も同じである。まず、零から一を生む。これが勝負の急所だ。「一は万が母」なのである。
「ひとりというのは巨大な数です。もしあなたがひとりを救うならば、あなたは十人を救うことにもなるのです。そのひとりは、自分のまわりにいる他の十人を教育するからです」
  仲間と共に、6時間の対話で集めた署名は5千人。ニュースで報じられ、女性たちの心をさらに揺り動かした。 あの尊き命を等われた3人の子の眠る基地まで、平和を願う女性たちが行 進をした。
  対立する住民同士が手を取り合って、涙ながらに大合唱する光景も広がった。
 ついに、 3万5千人もの女性の平和行進が実現した。力強い支援のメッセージは、世界59カ国から届いた。 平和への世論は、もはや抑え難い潮流へと高まった。歴史が動き始めたのである。
 会長は断言している。
 「『自分には無理だ』と思うことがあるかもしれません。しかし、それは思いちがいです。私たちひとりひとりが世界を変える能力を持っています」(前掲書)    
  「正義の怒りを、平和創造の力に変えてきました」と、わが道を振り返る会長の瞳は、清く澄んでいた。
 語る言葉は平明であり、朗らかな自信に満ちていた。
 「女性の集まりゆえに、より強力な運動となったのです」 
 「生命の尊厳」を知る女性こそ、本然的に国家やイデオロギーなどを超え、「人間そのもの」「地球そのもの」の未来を考えることができる。
 この女性の連帯こそ、人類の希望はあるのだ。
勇気を持つこと
 道なき道を切り開いたがゆえに、命も狙われた。車に爆弾を仕掛けられたこともある。 ノーベル平和賞の賞金を妬んだ卑劣な噂も流された。
 「家庭を犠牲にして平和運動する者に、母を名乗る査格があるのか」とまで 言われた。  母は微動だに

しなかった。
 「気楽な生活に戻りたいと思っても、残念ながら、ひとたび平和にかかわる
 生活を始めたならば、もう後戻りなどできない。私の人生は平和と正義に捧げ たのです」
  当時、お子さんたちも留守番などで寂しい思いをした。しかし今、この母の献 身は、一家の誉れの宝と輝いている。"無学な女性たちの運動など"と揶揄する者もいた。
  だが、そうした傲慢な挑発にも、はるかに聡明な言葉で応戦し、皆を感嘆さ せた。そして、なお一層、大きく共感を広げていったのだ。
 「私たちは、誰に何と言われ、何と思われようとも、運動の目的が建成できれ ば、それでいいのです」
  平和とは勝ち取るものだ。悲嘆や感傷を制覇し、迫害を勝ち越えながら、断 固として前へ前へ進みゆく闘争だ。「不屈の行動の支えは」との問いに笑顔で答えてくれた。
 「自分の中にある確信」について、『勇気を持つ』ことが重要です。何事も続けなければならない。誰が何と言おうと、あきらめてはならない」
 「『それは無理だ』と言われると、『やってみせる!』と思うのがアイルランドの女性なのです」
    
  
 ベティ・ウィリアムズ(1943年~)平和活動家。
「世界子ども慈愛センター」の創設者・現会長。
北アイルランド生まれ。1男1女の母。76年8月、警官に射殺されたテロリストの軍が暴走し、道端にいた青年と3人の子どもをはねて死亡させる事件に遭遇。その子の叔母であるコリガン氏と共に平和を求める署名運動を閻始した。その後、"ザ・ピース・ピープル"を組織し、平和運動に従事。北アイルランド紛争の解決を求める世界的波動を広げた功績により、76年、ノルウェー国民平和賞を受賞。翌年、コリガン氏と共に76年度のノーベル平和賞が追贈された。

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